学力向上委員会のほぼ毎日日記。千葉市中央区の超小さな塾から脈絡もなく発信中です。
2023-05-23 23:23:00
古墳時代になると、九州から東北地方南部までを支配する【①】が出現した。その王は【②】(のちの天皇)と呼ばれ、たくさんの豪族たちを率いていた。邪馬台国と【①】につながりはあるのか?突然の【①】出現は奇妙だ。「やまたいこく」「やまと」と似てる気がしないでもないが・・・ワシにはよ~わからん。
【①】の行ったことでアタマに入れておきたいのは2つ。1つ目は【③】で、この制度は、例えば蘇我氏は財政担当、物部氏は軍事担当と、1つの豪族が1つの仕事を受け持つというもの。2つ目は【①】の朝鮮半島への進出。この当時の朝鮮半島は4つの地域に分かれていた。【④】(伽耶)は日本の植民地、【⑤】は日本の同盟国、【⑥】と高句麗は日本の敵であった。
次に古墳時代の文化について確認しよう。まずはカギ穴のカタチをした【⑦】。このカタチがイチバン有名だが、豪族の墓はほかにも上円下方墳、前方後方墳などイロイロある。【⑦】の周囲や頂上には【⑧】が置かれていたのは有名だ。土偶ではない。土偶ではかなりファンキーな光景になる。この時代には大陸からたくさんの文化がやってきたことも忘れてはならない。【⑨】や儒教が【⑩】(朝鮮半島の争いを避けて日本に来た人々)によって伝わり、百済の王からは【⑪】が伝えられた。
①大和政権 ②大王 ③氏姓制度 ④任那 ⑤百済 ⑥新羅 ⑦前方後円墳 ⑧埴輪 ⑨漢字 ⑩渡来人 ⑪仏教