学力向上委員会のほぼ毎日日記。千葉市中央区の超小さな塾から脈絡もなく発信中です。
古墳時代になると、九州から東北地方南部までを支配する【①】が出現した。その王は【②】(のちの天皇)と呼ばれ、たくさんの豪族たちを率いていた。邪馬台国と【①】につながりはあるのか?突然の【①】出現は奇妙だ。「やまたいこく」「やまと」と似てる気がしないでもないが・・・ワシにはよ~わからん。
【①】の行ったことでアタマに入れておきたいのは2つ。1つ目は【③】で、この制度は、例えば蘇我氏は財政担当、物部氏は軍事担当と、1つの豪族が1つの仕事を受け持つというもの。2つ目は【①】の朝鮮半島への進出。この当時の朝鮮半島は4つの地域に分かれていた。【④】(伽耶)は日本の植民地、【⑤】は日本の同盟国、【⑥】と高句麗は日本の敵であった。
次に古墳時代の文化について確認しよう。まずはカギ穴のカタチをした【⑦】。このカタチがイチバン有名だが、豪族の墓はほかにも上円下方墳、前方後方墳などイロイロある。【⑦】の周囲や頂上には【⑧】が置かれていたのは有名だ。土偶ではない。土偶ではかなりファンキーな光景になる。この時代には大陸からたくさんの文化がやってきたことも忘れてはならない。【⑨】や儒教が【⑩】(朝鮮半島の争いを避けて日本に来た人々)によって伝わり、百済の王からは【⑪】が伝えられた。
①大和政権 ②大王 ③氏姓制度 ④任那 ⑤百済 ⑥新羅 ⑦前方後円墳 ⑧埴輪 ⑨漢字 ⑩渡来人 ⑪仏教
弥生時代に大陸から【①】と【②】が伝わってきた。コレは日本を大きく変えた。
【①】が伝わってきたことによって狩りや漁に頼る不安定な生活は終わり、1つの場所に定住し安定した生活を送ることができるようになった。【①】は1人や2人でできるものではない。数十人の大勢で行わなければならない。そうなるとリーダーが必要になる。会社のリーダーの社長がたくさんの給料をもらってお金持ちなように、【①】のリーダーもたくさんの収入があり裕福であった。こうして縄文時代にはなかった上下関係や【③】の差が生まれた。
【②】のうち、【④】は武器や農具として、【⑤】は祭りのための宝物として使用された。銅鐸とか銅鏡とかがそれ。
【①】と【②】が日本に伝わってきたことは大きな意味を持つ。【①】によってリーダーが生まれ、リーダーを中心に「むら」ができ、「むら」と「むら」が武器を持って戦い、結果1つのおおきな「むら」となり、その「むら」がさらに大きくなって「くに」となった。現在の日本がスタートしたと言える。もっとも有名な国が【⑥】とその国の女王【⑦】。このことは中国の歴史書【⑧】に記載がある。弥生時代のことを記載した歴史書には【漢書地理志】【後漢書東夷伝】もあるが、流れを理解することを目的とした本稿では割愛。
弥生時代の遺跡として有名なのは、水田の跡のある静岡県の【⑨】遺跡、むらの跡がある佐賀県の【⑩】遺跡。キーワードと都道府県と遺跡名をつなげて覚えてほしい。
重要用語は、稲の穂を摘み取るための【⑪】、稲を貯蔵しておくための【⑫】、縄文土器よりシンプルなデザインの弥生土器。
①稲作 ②金属器 ③貧富 ④鉄器 ⑤青銅器 ⑥邪馬台国 ⑦卑弥呼 ⑧魏志倭人伝 ⑨登呂 ⑩吉野ヶ里 ⑪石包丁 ⑫高床倉庫
縄文時代の人々はどのような生活をしていたのだろうか?
発掘の結果、縄文人は地面を浅く掘ってその上に屋根をつけた【①】に住み、【②】や【③】の生活をしてことがわかっている。【②】や【③】の生活ということは、獲物がいなければ違う土地に移動せねばならず、それでも獲物がいなければ飢え死にしてしまうという、とても不安定な生活を送っていたのでは・・・との予測が成り立つ。このような状況の中で、人々は協力して生活をしていたため、上下関係や【④】の差はなかった。
覚えておかなければならないのは、ゴミ捨て場である【⑤】、複雑ば模様の【⑥】土器、表面を磨いた【⑦】石器、おまじないに使用された【⑧】である。【⑧】は資料を見て確認しておいてもらいたい。埴輪と混同しないように。
縄文時代の有名な遺跡は、東京都の【⑨】貝塚。コレは明治時代に動物学者のモースが発見した。もう1つが青森県の【⑩】遺跡。32m×10メートルの巨大な建物の跡が発見されている。ということは、それだけこの集落にはたくさんの人が住んでいたということになり、当然その人たちを養うだけの食料が手に入っていたとなるので、意外にも縄文時代は、自然環境の安定した豊かな時代だったのではないかとも考えられている。
①たて穴 ②狩り ③漁 ④貧富 ⑤貝塚 ⑥縄文 ⑦磨製 ⑧土偶 ⑨大森 ⑩三内丸山
塾に来て
数学が好きになった
ってさ~。
この一言で今晩お酒がおいしく飲める。
明日もガンバレる。
そう、ワタシは至極単純です。