学力向上委員会のほぼ毎日日記。千葉市中央区の超小さな塾から脈絡もなく発信中です。

2023-06-17 22:22:00

飛鳥時代は

聖徳太子の政治

の次に

中大兄皇子の政治

と、ふたつのかたまりで考えるとわかりやすい。

 

このふたりの政治の目的は同じ。「天皇中心の国づくり」がそれ。この視点で見ていくとさらにわかりやすくなる。

 

最初に聖徳太子の行ったことを確認しよう。聖徳太子は【①】天皇の【②】になってから、身分に関係なく人材(人材=天皇のためにはたらく役人)を採用することができる【➂】をつくり、役人が守るべきルール(内容=天皇の命令を守りなさい)である【④】を定め、【⑤】として小野妹子を隋に派遣する(目的=天皇の権威化)など、有力豪族であった「蘇我氏中心の政治」から、本来あるべき「天皇中心の国」を取り戻そうとさまざまな政策を進めていった。この当時は聖徳太子が積極的に仏教を取り入れた影響もあって、日本で最初の仏教文化である【⑥】文化が花開いた。世界最古の木造建築である【⑦】がこの文化の代表作品。

 

次に飛鳥時代の中心になるのは中大兄皇子。中大兄皇子(のちの【⑧】天皇)は【⑨】とともに、645年蘇我氏を滅ぼし【⑩】という政治改革を始めた。すべての土地と人民を国家の直接支配下に置く【⑪】、【⑫】以上の男女に口分田を支給する【⑬】、【⑭】(収穫の3パーセントを稲で納める)・【⑮】(労働をするか布を納める)・調(地方の特産物を納める)の税金制度を整えるなど、再び蘇我氏のような天皇を上回る力を持つ豪族が生まれないよう、さまざまな政策を推し進めた。

 

【⑧】天皇が亡くなったあと、その後継者を決める【⑯】の乱が起こった。この戦いに勝利したのは【⑧】天皇の弟の大海人皇子(のちの【⑰】天皇)。この【⑰】天皇のときに日本で最古の貨幣である【⑱】が使用されていた。【⑰】天皇の死後、701年【⑲】が定められ、日本は律令によって運営される律令国家となった。

 

①推古 ②摂政 ③冠位十二階の制度 ④十七条の憲法 ⑤遣隋使 ⑥飛鳥 ⑦法隆寺 ⑧天智 ⑨中臣(藤原)鎌足 ⑩大化の改新 ⑪公地公民 ⑫6 ⑬班田収授法 ⑭租 ⑮庸 ⑯壬申 ⑰天武 ⑱富本銭 ⑲大宝律令