学力向上委員会のほぼ毎日日記。千葉市中央区の超小さな塾から脈絡もなく発信中です。
710年唐の都【①】を手本に、奈良に【②】が造られた。この年から都が京都に移動するまでの約70年間を奈良時代と呼ぶ。奈良時代は高校受験に関する限り、政治の中心が誰から誰に移っていったとの流れで押さえるより、分野ごとに押さえた方がわかりやすい。
まずは【③】天皇の行った政治について確認しよう。【③】天皇のいた時期は、貴族の勢力争い、伝染病の流行、相次ぐ災害と、世の中は乱れに乱れていた。そこで【③】天皇は、世の中の乱れを仏教のチカラでしずめようとした。国(ザクッと今の都道府県と考えてOK)ごとに【④】と【⑤】を建て、都には【⑥】、その内部には巨大な大仏を造ったのは【③】天皇の考えのあらわれである。
次に土地制度の変化についてまとめていきたい。大化の改新によって成立した【⑦】は、すべての土地と人民を国家の直接支配下に置き、その土地を農民に貸し与え、農民から税をタップリ取るというシステムであった。はじめはこのシステムもうまく行っていた。しかし奈良時代になると、農民はあまりにも税の負担が大きいので自分の土地から逃げてしまったり、人口の増加によって農民に貸し与える口分田が不足したりと、国に入る税が少なくなってしまった。そこで朝廷は743年に【⑧】を出し、開墾してできた農地は永久に自分の財産にしてイイことにした。この法で農地の拡大と納められる税の増加を期待したわけである。貴族や寺院は豊富な資金を使って農民に土地を開墾させ、自分の私有地(【⑨】)を増やしていった。この私有地をたくさん抱えた藤原氏がこののち勢力を拡大し、平安時代の藤原道長の登場につながるのである。第2の蘇我氏を出さないための【⑦】は破綻した。
次は外交面。この当時、唐の文化や制度を学ぶために【⑩】が派遣されていた。【⑩】として唐に渡り一生唐の朝廷に仕えた【⑪】、20年かかって唐から来日し、日本の仏教の発展に力を尽くした【⑫】が有名である。
最後に奈良時代の文化を確認したい。この時代、唐と仏教に影響を受けた【⑬】文化が花開いた。日本で最初の和歌集である【⑭】が有名だ。
①長安 ②平城京 ③聖武 ④国分寺 ⑤国分尼寺 ⑥東大寺 ⑦公地公民 ⑧墾田永年私財法 ⑨荘園 ⑩遣唐使 ⑪阿倍仲麻呂 ⑫鑑真 ⑬天平 ⑭万葉集