学力向上委員会のほぼ毎日日記。千葉市中央区の超小さな塾から脈絡もなく発信中です。
源氏将軍がいなくなったあと、鎌倉幕府の実権を握ったのは執権の北条氏。この執権の北条氏が始めた政治を執権政治という。
執権政治に関して覚えるべきは以下の3点。
1点目は、鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇を返り討ちにした【⑤】の乱。この戦いのあと、京都と西日本を監視するための【⑥】が設置されたことを忘れてはダメよ。
2点目は、三代目の執権北条【⑦】が作った裁判の基準【⑧】。武士はもともと農民だから土地への執着が強い。「この土地はウチのモノだ!」「イヤオレのモノだ!!」ともめることが多すぎた。だから【⑧】が必要だった。
最後3点目は、モンゴル軍の日本への侵略である【⑨】。1回目が文永の役、2回目が弘安の役。役とは「えき」と読み、戦いを意味する。八代執権北条【⑩】が指揮を執りモンゴル軍を追い払ったんだけど、そのあとがマズかった。
御家人は鎌倉幕府のために戦えば、敵から勝ち取った領地から活躍した分だけ恩賞として領地がもらえる。だから命をかけてでも、全財産をはたいてでも(戦いに行くのは自腹)戦った。だけど、モンゴル軍は追い払ったけど追い払っただけで、幕府はなんの領地も手に入れていない。てことは、御家人に領地が渡せない。領地をもらえなかった御家人は、結局財産がなくなってビンボーになっただけ。(分割相続をしていたこともビンボーになった大きな原因だけどココでは触れない) ビンボーになったら御家人は借金をする。だけど、そもそも財産がないから借金は返せない。で、また借金をしてもっと苦しくなる。幕府はそんな御家人を救おうと【⑪】を出すが、「お金を貸しても戻ってこないならもう貸さないよ」って、今まで御家人にお金を貸していた人たちはもう貸さなくなる。借りられなくなった御家人はもっともっともっと苦しくなり、こんなツラい自分たちを助けてくれない幕府に、激しい憎悪を持つようになる。コレで御恩と奉公の強い絆は終了。鎌倉幕府はもう滅ぶしか道はなくなりました。
⑤承久 ⑥六波羅探題 ⑦泰時 ⑧御成敗式目 ⑨元寇 ⑩時宗 ⑪徳政令
鎌倉時代はふたつのブロックに分けることができる。
将軍の政治
執権の政治
まずひとつ目のブロック「将軍の政治」を見ていこう。
鎌倉時代は【①】が1192年に【②】に任命され、鎌倉に幕府を開いたところから始まる。鎌倉ってどこにあるかわかる?地名が出てきたらかならず場所の確認をしてほしい。どこで幕府を開いたのかって地図から選ぶ問題出るよ。
【②】と【②】の家来である【③】は、御恩と【④】の関係で強く結びついていた。御恩とは【②】が【③】が今持っている領地を「武士で一番えらいオレがキミの領地だって認めてあげるよ」ってこと。【③】は大安心できるよね。さらに【②】は活躍次第で新しい領地もくれた。それに対して、【④】は【③】が【②】のために命がけで戦うこと。
この御恩と【④】の強い結束があればこそ、鎌倉幕府は前時代の巨大な権威である朝廷と対抗し勝つことができた。逆に言えば、この結束がなくなったら鎌倉幕府は“おしまい”ということ。けっこうシンプルな理屈。
「源」がつく【②】は【①】とそのふたりの息子で終わってしまった。そのあとの将軍は【①】とは血のつながらないお飾りの将軍。「将軍の政治」で確認しておくことはコレぐらい。
①源頼朝 ②征夷大将軍 ③御家人 ④奉公